未来につながる祭りへ―誇れる文化を福島から発信―
2018年夏から始まった「福島わらじまつり」の改革。なぜ変えるのか。どのように変えるのか。改革によって何をめざすのか。実行委員会企画検討委員会委員長・小口直孝さん、総合プロデュース・大友良英さん、共同プロデュースのプロジェクトFUKUSHIMA!代表・山岸清之進さんが語り合った。
実行委員会企画検討委員会委員長
小口直孝
総合プロデュース
大友良英
プロジェクトFUKUSHIMA!代表
山岸清之進
100年続く伝統を自分たちでつくるために
山岸清之進(進行) 6月1日(土)2日(日)の「東北絆まつり2019福島」で、初めて披露された新生「福島わらじまつり」。なぜ改革が必要になったのか。まずはそのお話からお願いします。
小口直孝 震災と原発事故が起きるまでは、福島市民が喜んでくれればいいと思って続けてきました。「わらじ音頭」は舟木一夫さんが歌う歌謡曲に始まり、サンバ、ヒップホップと手を変え品を変え、とにかく盛り上がればいい、と。11年、東北6県の祭りが集まる「東北六魂祭」(現「東北絆まつり」)が始まり、福島の祭りが外に出る機会が増えました。最初は無我夢中で「福島がんばっています」とアピールする場でした。でも13年に福島で開催されたとき、自分たちの祭りは「何か違うな」と感じたんです。
大友良英 祭りは本来、やっている人間が楽しければいいんです。そのときどきの流行を取り入れて変化してきたことも、全然悪いことじゃない。ただそれが震災後外に出たことで、他の祭りと比べてしまったわけですよね。他の県の祭りは伝統的なものが多いから。
山岸 福島わらじまつりは、50年の歴史の中でたびたび変化してきました。今回の改革はその延長線上にあるものでしょうか?
小口 延長ではないですね。祭りは普遍的なものでなくちゃいけない。今のままだと100年は続かないと思いました。
大友 最初に改革の依頼を僕にしてきたのは13年。当時からそこまで考えていたんですか?
小口 変えたい気持ちはありました。でも大友さんから「根本から変える覚悟はあるのか」と聞かれて、そこまで本格的な改革という考えはなかったです。
大友 当時は「あまちゃん」(NHK連続テレビ小説)が流行っている頃でした。あまちゃん的なものを求められているとしたら、受けちゃいけないと思いました。あくまでTVドラマの音楽としてつくったものですから、そんな感じでまた流行を入れるような改革をしてしまったら100年は続きません。本質的に変える覚悟がなければ、自分が関われないなと思ったんです。変えるにはどうすべきか、かなり厳しいことをそのとき言いました。そのあと話が来なくなって、改めて要請があったのは昨年(18年)の春。気持ちが固まるのに5年かかった、ということですよね。
小口 そうですね。13年当時も実行委員会のメンバーは「変えよう」と考えていました。しかし、改革するには商工会議所や市役所を動かさなくてはならない。そこまで気持ちが一つになってはいませんでした。変えるなら「すごい」と言ってもらえる祭りにしないと、見ている人もつまらないでしょうし。
大友 昨年(18年)の「東北絆まつり」を、盛岡(岩手県)まで見に行きました。そのとき、みんながなぜ変えたいと思ったのか、理由がよくわかったんです。他の祭りと比べてしまったことが直接の理由ですが、本質的には「誇れる祭りにしたい」ということなのだな、と。福島は震災と原発事故でたくさんのものを失ったけれど、一番は「誇り」を失ったのだと思います。
小口 子どもたちが見て、誇れる祭りにしたいと思いました。
大友 よくわかります。震災が起きたとき、みんな自分にできることは何かと考えましたよね。僕自身は、福島の誇りを取り戻すにはどうしたらいいか、その部分が大事だと考えました。もちろん「福島は元気です」「大丈夫です」と伝えることも悪くはないでしょう。でも、そんなイメージ戦略のようなものでもつのは、せいぜい1、2年。被災地を心配する感情に訴えるのではなく、本当に面白いもの、カッコいいものを福島から発信しなければ、誇りは生まれません。震災直後から「文化」の重要性を一貫して訴え続けてきているのは、そのためです。福島から文化が生まれること、未来が生まれることが重要です。その文化を福島の人たちがつくっていくことが重要なんです。
山岸 未来は自分たちの手でつくる、ということですね。
大友 そうです。お金をかければ、プロのダンサーや担ぎ手を呼んでカッコいいものは容易にできます。派手なものをつくることも簡単です。でもそんなものはすぐに見抜かれるし、そもそも市民の祭りにならない。なにより伝統にはなっていきません。付け焼刃ではだめなんです。文化を生むには時間がかかります。そのことを心底わかってもらった上で、改革に取り組んでもらうことが重要です。根本的に変えなくては、と言っているのはこのことです。
小口 今年変えることが改革ではないですよね。変わるきっかけをつくってもらったのが今年です。6月の「絆まつり」はスタートライン。いえ、まだそこにも立っていません。本当の改革はこれからで、私たち実行委員会の覚悟が問われます。
大友 表面上の改革じゃなくて、なぜ変えるのか、その基本的な考え方を伝えていかないといけない。祭りのあり方を丁寧に考えていかなくちゃいけない。小口さんの次の代が主体になっても迷わないように。その基礎をつくるのが今年です。そのことを何度でも繰り返し言っていかないと、そして実行していかないと、祭りは簡単にもとに戻ってしまう。大切なのは、時間をかけてそれをやっていく覚悟です。
なぜ「わらじまつり」は始まったのか子どもたちにも伝えていきたい
山岸 福島から誇れる文化をつくり、発展させていく。そのために改革が必要になった。そこで最初に取り組んだのは、「わらじまつり物語」でした。執筆は、「カーネーション」(NHK連続テレビ小説)などで知られる脚本家の渡辺あやさんです。
大友 最初は、僕もどこから手をつけていいのかわからなかったです。ただ、なんでこの祭りが迷走したかを考えることで答えが出てきました。この祭りには、基本になる物語がなかったんですね。祭りは、必ずなんらかの伝説なり起源があって、そこから生まれています。もちろん最初の最初、わらじまつりのもとになっている「暁まいり」にも起源はあったはずです。でも今やそれがよくわからない。だったら今新しい祭りをつくるわけだから、もう一度物語を編み直せばいい。なんのためにやっている祭りなのか、っていう物語をです。だから映画やテレビでいう脚本が必要なんだと話をしました。たぶん、みんなは「はあっ?」って感じだったんじゃないかな。「そんなことより早く曲書いてくださいよ」って(笑)。
山岸 小口さんはどう見ていましたか?
小口 正直、なんで脚本なのかな?って。びっくりしました。今はだんだんわかってきましたけど。
大友 なんで、この祭りをやっているのか。今までその土台となる物語が決定的に欠けていました。暁まいりは、大名や神様がつくった祭りじゃないですから記録とかも残っていないし。
山岸 仙台の伊達政宗のように、有名な武将のエピソードがあるわけじゃない。庶民の中から生まれた祭りですよね。
大友 だから、福島の人が読んでも納得する物語が必要だと感じました。あやさんには福島に残っている伝説や民話を調べてもらい、そこから物語をつくってもらいました。福島は昔湖だったとか、まあ恐竜時代のことだけど(笑)。おろち(大蛇)がいたとか。そういう誰でも知っている話の中から、わらじまつりの起源を探ってもらいました。村人がおろちを退治する話は創作だけれど、決して捏造や単なる創作じゃない。今の自分たちの話でもあるんです。「震災後、福島はこうやって立ち上がるんだ」という意思が物語になり、それがわらじまつりにつながっていく。そんなイメージです。ですから大昔の話ではなく、今わらじまつりを改革しようとしているみなさんの話なんだと思います。この物語があれば、今後も迷走せずに祭りが続けられる。福島のアイディンティティに関わる、とても良い話だと思っています。
小口 なぜ、わらじまつりは始まったのか。この物語を私たち大人だけではなく、子どもたちにも伝えていきたいですよね。
大友 絵は、著名な絵本作家である飯野和好さんに描いてもらいました。文も絵もすごい人に参加してもらって、すばらしいものができました。市民のみなさんが誇れる福島をつくっていく糧にして頂けたらいいし、そのためにも絵本にして学校の教材として使ってもらえたらいいですよね。小さい頃からこうしたものに接することで、育まれるものがきっとある。
山岸 物語ができたことで、衣装もつくりやすくなったと思います。
東北絆まつり2019福島 にて
小口 「絆まつり」を見た人から「衣装が華やかだった」という声をたくさん頂きました。
大友 福島出身の新進気鋭のファンションデザイナー・半澤慶樹さんに手がけてもらいました。たとえば、笛を吹いている人たちのはかま姿を見て「かわいい」「着てみたい」ってあこがれるような、そんなリクエストをしました。踊りの衣装は桃をイメージしています。
山岸 物語を表現する踊りは、プロジェクトFUKUSHIMA!と一緒に盆踊りをつくって来た振付家の伊藤千枝子さんにお願いしました。わらじからの連想で「わらのわ」と名付けた、わらの房がついた輪を持って踊る振付です。
大友 これまでは音楽や踊り、わらじの担ぎ手が一体になるところが少なかった。みなで「わらのわ」を回すところで、高揚してくれたらいいですね。「わっしょい」のかけ声だってむずかしくない。「わらのわ」のシンプルな動きの中で「わっしょい」のかけ声を合わせられたら、一体感が生まれます。
小口 「わらのわ」を回すところは、車椅子の人も参加できる振付なんですよね。すごくいいなと思います。
大友 最初はうんとハードルを下げて、誰でも参加できるようにしました。きっとこの先、ものすごい踊りが生まれたり、逆に体の動かない人が気軽に参加できる踊りが生まれたらいい。1年目の今年は、その基礎ができればいい。
小口 これからブラッシュアップしていけばいいので。
大友 その通りです。そうやってみなで祭りをつくっていければいいですね。
山岸 音楽は、今までは録音された音源を流して踊っていましたが、歌だけではなく楽器も生演奏になります。これが最大の改革かもしれません。これまでになかった笛と太鼓のアンサンブルが中心です。
小口 実行委員会から大友さんにお願いしたのは「わらじと、古関裕而さん作曲のわらじ音頭だけは残してほしい」ということでした。
大友 そうでした。今回の改革で大切にしたのは、50年前に「わらじまつり」を始めた人たちの思いをどう今に受け継いでいくのか、ということです。最初の頃の祭りの資料があまり残っていない中で、古関さんの音楽をベースに考えていくことはとても重要です。この音楽を変な方向に変えずに、これから100年でも200年でも続けられるものにしていくにはどうしたらいいか。そこから考えました。
幸いNHKに、昭和20年(1945年)代に録音された「福島盆踊唄」の音源が残っていて、♪ダンダカダンダカってビートがすごくカッコいいし、普遍的なリズムだなと思いました。わらじ音頭よりも古くからあるこの音頭を、古関さんも参考にしていたはずです。だったら、このビートを今に生かして「わらじ音頭」をこの先も古くならない伝統的な音頭に変えていこう、そしてそれをなるべくたくさんの人たちで生演奏する勇壮な音頭にしていこうと考えました。今年は間に合わないけれど、最初に歌った舟木一夫さんにもいつか来てもらって、新しいわらじ音頭に参加してもらえたらいいですよね。
山岸 そして今年のポスターは、最初の年にイラストレーターのおおば比呂司さんが描いたイラストを参照してつくられました。
大友 おおばさんのポスター、すばらしいです。新しいものをつくるとき、これまでに何をやってきたのか、その中で未来に残したいものはなんなのかを考えていかないと、結局は流行に合わせた変革にしかなりません。大切なのは、過去にある良いものを見据えながら、50年後100年後の未来をどう考えていくかです。
個人の参加をどれだけ増やせるか「踊る人」と「見る人」の壁を取り払う
山岸 いよいよ本祭りです。初日8月2日(金)は「平成わらじまつりファイナル」。「新わらじおどり」への引き継ぎが行われます。
大友 「わらじ競争」も「ダンシングそーだナイト」も今年限りになります。毎年楽しみにしてきた人は、がっかりしているかもしれません。申し訳ないですが、でも今年は生みの苦しみだと思って、是非新しいわらじおどりにも参加してみてください。こっちのほうが「楽しいかも」って感じてもらえたらうれしいです。
山岸 3日(土)の「新わらじおどり」で大切にしたいのは、「踊っている人」と「見る人」の壁を取り払うことです。見ていて踊りたくなった人も参加できるようにしたい。
小口 どれだけ個人参加を集められるか。待っているだけじゃなくて、できる限りの働きかけをしてほしい、と若いメンバーに伝えています。
大友 個人で踊りたい人いっぱいいますよ、きっと。これまでのように団体参加だけではなく、個人が誰でも分けへだてなく参加できる祭りをつくっていくにはどうしたらいいか。みんなで考えていきましょう。かつてサンバを取り入れたりしたわけだけど、逆に、プラジルの人がわらじまつりを取り入れたくなるような、そんなすごい祭りをめざしましょうよ。
小口 障害を持った人も、外国の人も、子どもたちも。みんなで踊ってほしいですね。
大友 みんなウェルカム!の祭りになったら本当にいい。
山岸 最終日4日(日)は、午前中に信夫山の羽黒神社に大わらじを奉納し、夕方からは街なか広場で「あとの祭り」と題した「フェスティバルFUKUSHIMA!」。プロジェクトFUKUSHIMA!主催の納涼盆踊りです。予約も必要なく無料なので、来てもらえれば誰でも参加できます。演奏したり、踊ったり、食べたり飲んだり、見たり。衣装も自由です。他人に迷惑をかけたり、事故やケガや犯罪がなければ何をして頂いてもOKなので。
大友 こっちのほうは段取りも何もない(笑)。11年に始めたときから、ゆる~いものでした。どなたでも是非参加してください。
誰にでも開かれたまちへ福島が世界に元気を与えていく
山岸 この1年、さまざまな紆余曲折を経ながら改革を進めてきましたよね。
大友 僕は、できるできない以前に「こうしなくては」ということをしつこく言ってきました。現実的なことではなく、理想を言う人が必要だと思ったからです。だから苦労してきたのは現場の人たちです。絆まつりでも「太鼓を動かせるようにしてほしい」と言ったら、最初は無理だっていう話しか出なかったのに、本当につくってくれた。
小口 若いメンバーが台車を手づくりしたと聞いて「すごいな」と感心しました。祭りをつくることが、まちづくりにつながって、それが人づくりにつながっています。
東北絆まつり2019福島 にて
大友 はい。あの台車を見たとき「行けるな」と確信しました。みんなすごいぞって思いました。これだよ、これこそが改革だよって。祭りは、まちづくりに直結します。まちのあり方とも直結しています。だから、まちが衰退すると祭りも衰退する。これ、福島だけの問題じゃないです。人口が減少していく中、地方都市が生きのびるためにはどうしたらいいか。祭りだけの問題ではない切実な問題です。でも逆に言えば、祭りが活性化していけば、まちにも活気が戻ってくるのではないか。それは「外から訪れたくなるまちにするにはどうしたらいいのか」の問いとイコールです。
たとえばですが、外国から福島に働きに来る人たち、これからどんどん増えると思います。単に労働者として迎えるだけで彼ら彼女らが自分たちの国に帰っていくのと、「また来たい」「ここなら自分の子どもたちにも行かせてみたい」と思って自国に帰っていくのとでは、全く違います。祭りはそういうことを可能にする場にもなります。「21世紀の地方の祭りは福島が参考になる」と感じてもらえたら、それだけで誇りが持てるようになる。海外の人たちが「またあの祭りに参加したい」と思ってくれたら、福島そのものも変わっていくのではないでしょうか。もちろん良い方向に。福島がそんな地方都市のさきがけになってほしいなって。
小口 今の子どもたちが福島から外に出て行ったとき「人を連れてきたい」と誇れるまちにしていきたいですね。
大友 他の人にも「自分たちの祭りを見せたい」と胸をはれるような、そんな祭りにしましょうよ。5年後10年後、きっとそうなっていくと思います。10年後って、俺70才かあ。生きているかなあ(笑)。でも福島のこれからを見ていきたいなあ。今年は種まきの年です。ここからどんな芽を出し、どんな実がなるかは、みなさん次第です。何年か後には全国の人が、いや世界中の人が「踊りに来たい」と思えるような祭りをめざしていければいい。今年まいた種を丁寧に育てて、未来につなげてほしい。自分たちの手で未来をつくっていくことで、福島からこの先の日本の未来が生まれていけばいいな、と思っています。
山岸 大友さんたちと震災直後に始めたプロジェクトFUKUSHIMA!も、震災と原発事故で有名になってしまった「福島」をポジティブな言葉に転換するために活動してきました。今回のまつりの改革も、通じるものがあります。
大友 根底には「ふざけんな」という怒りがあって、それが出発点ではあるんです。でもそんなネガティブなものだけで何年も続くわけがない。人がついてくるわけがない。よく震災の風化って話があるけど、人間の記憶も感情も風化はしていくものです。風化は必ずしも悪いことばかりじゃない。大切なのは、ほおっておくと薄れていくものをどう文化に転換していくかです。僕は、あの怒りをどうやって笑いに変えられるかばっかり考えてきました。それが盆踊りだったり、「あまちゃん」につながったりしたわけです。
山岸 プロジェクトFUKUSHIMA!の「大風呂敷」も、最初はセシウム(放射性物質)対策でした。
大友 それが今は風呂敷をみなでつなげて会場に敷くことで、場が祭りの空間に変わっていくことが目的になっていった。重要なのは単に風化を食い止めることではなく、どうやってポジティブなものに展開していくか。福島ですごい祭りをつくって、新しい伝統となる文化を発信していく。後世の人はその祭りを楽しむわけだけど、そのときに「この祭りは震災があったからこそ、こんなすごい祭りになったんだ」という物語が伝わっていけば、それがそのまま福島の誇りになっていくのだと思っています。
小口 今、自分たちは福島の歴史をつくっている実感があります。自覚を持って続けていきたい。是非8月の本祭りに参加してほしいです!(終)